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自分を強くしたくて、多くのハウツー本に目を通しました。そのいずれも読んで数日間はその気になっているものの結局は起点に戻ってしまう事に気付く。そんなある日、たまたま立ち寄った居酒屋で隣に座っていた見知らぬ客が放った一言。「積極を学ぶなら中村天風しかいない」。その一言が私と中村天風 心身統一法との出会いとなりました。

否定人から肯定人へ

以前の私は物事が思い通りに行かないとすぐにカッとなり、否定的な目で人の短所ばかりを見て、当たり散らすという救いがたい面がありました。今の言葉ならパワハラです。

天風会に入会して天風哲学を学ぶ中、ある先輩会員が理解の進まない私にたとえ話で分かりやすく解説してくれました。

口が鼻に文句を言いました。「一日に三回、ご飯を食べて体を養っているのに、私が顔の一番下にいるのはおかしい。」

すると鼻は笑って、「一日に三回位で偉そうな事を言うな。私は24時間息をしている。だから私の方が上でいい。」

そこで口と鼻が二人で話し合うと、上にいる目は何もしないで俺たちを見下している。

そこで目に文句を言うと、「口が偉そうな事をいうな、食べて良いものと悪いものを見分けているのは私だ。鼻が偉そうな事を言うな、私が高いところから見張っているから車に跳ねられずに生きていけるんだ。」

口と鼻と目の三人が話し合い、更に上にいる眉毛に「お前は何もしないで一日中寝ている。」と文句を言うと、眉毛は「私は皆様の働きにいつも心から感謝しております。」と言ったというお話です。

口だけでも鼻だけでも目だけでも生きていけない、それぞれ大切な役割があるという事です。私は先輩会員が話してくれた例え話のお陰で、天風哲学を一つ掘り下げて理解でき、今では人を肯定的に受け止め、人の良い面に目を向けられるようになったと思います。
人生をハッピーに活きる為に必要な財産を得たようなものです。

カッコよかった父の姿

父が数年前、84歳で人生を終えました。
旅立ちの前夜、既に点滴の針も入らない程にやせ細った両腕を差し出し、突然母の手を握り、「お陰様で良い人生を送れた。ありがとう、ありがとう」と何度も母に感謝の言葉を残し、翌朝、旅立ちました。

父は自分の子供の頃の話を殆ど口にしませんでした。何度聞いても、いつもニコニコしながら「もう忘れたよ」と言いながらまともに答えてくれませんでした。

これは四十九日の法要の時、母がしてくれた話です。
父は女手一つで育ててくれた母親と7歳で死別し、嫁いで行った姉の家に引き取られました。日本が戦争をしていた時です。どの家も貧しかった為、父は少年期に様々な仕事の手伝いをしては僅かな賃金を貰い、仕事がないときはやむを得ず悪い事もしたそうです。生きる為に必死だったのだと思います。

私は法要の時にそれまで聞けなかった父の子供の頃の事を初めて知りました。父は更に社会に出てから人に騙され事業に失敗しており、本当に波乱万丈な人生を送ったのだなと思いました。そんな父の最後の言葉が「お陰様で良い人生だったありがとう」。何と素敵な言葉でしょう。

84歳は決して長生きとは言えないかも知れません。私は、長く生きるのも大切ですが、いかに生きたかも重要だと思います。辛い事があっても前を向いて生きた。それが「ありがとう」という言葉に表れていると思います。私も最後の瞬間は、父のように「ありがとう」と言える人になりたいです。

さて、それではどうすればよいのでしょうか?それは「恒に積極的に活きる」事です。時々ではダメです。また、自分の調子のよい時だけでなく、困難なことがあっても「恒に積極であれ」です。

天風哲学の「積極」には完璧な「How to do」 があります。それを実践していく事が私の人生にとって最も重要な事です。

木曜行修会

さて、天風哲学は実践哲学です。日常で学んだ事を日常生活で実践していきますが、一人でやっているとどうしてもネジが緩んでしまいます。そんな時はネジの締め直しが必要です。

仕事柄、平日に時間が作りやすいので、主に木曜行修会に参加しています。行修会ではネジの締め直しをするだけでなく、「なるほどぉ」の発見、「そういう事だったのかぁ」の発見、生活に役立つ発見等があり、心身統一法以外にも多くの学びの場になります。

私の心身統一法はこれまでかなり荒削りでしたが、行修会に参加して、参加者全ての方々から角を削って頂き、更に服部嘉夫講師により丹念に磨き上げて頂けるお陰で、最近では少しずつですが統一道にまるみが出て、ちょっと輝きが出てきたように感じています。

さて、そろそろ日課の呼吸法の時間です。それでは・・・・・

佐々木 健二 | ヘアーサロン経営