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今回の天風会創立百周年記念企画は、広田真一理事の担当で、真の「人生の繁栄と成功」とは何かということを考察しようというものです。
ついてはかつて中村天風の講演を聴かれたことがあると伝えられ、『天風先生座談』の刊行時に書籍の帯に推薦の言葉を頂いた松下幸之助氏の繁栄と成功観について、PHP研究所の経営理念研究本部本部次長、松下幸之助研究の渡邊祐介氏にお話を伺いました。

◆ゲスト 渡邊祐介氏(PHP研究所・松下幸之助研究)

◆インタビュアー 広田真一(中村天風財団理事)


上記写真は、松下資料館内で。等身大の松下氏写真パネルを挟んで、右に渡邊祐介氏、左に広田真一氏。

 

【万物の王者と繁栄の基】

 

広田 実は来年天風会が創立百周年を迎えることになり、中村天風の哲学や教えというものを、新たな観点から若い人達に向けて、また未来に向けて発信していこうということで、特に天風が人生の三大不幸と称した「病・煩悶・貧乏」を現代の世相に置き換え、その解決に関して考察してみようということになりました。
今回は「貧乏」の解決、すなわち「人生の繁栄と成功」に的を絞って、独自の経営哲学を確立された松下幸之助さんが、人生の繁栄と成功に関してどのように考えておられたのかということを中心にお伺いしたいと思っております。
われわれの理解ですと、松下幸之助さんの思想と中村天風の思想には近いところがあるということもあり、共通する点があるのではないかと、楽しみにしております。

渡邊 そうですね、松下幸之助の哲学というのは、「PHPのことば」として多くの概念がまとめられているのですが、いの一番に繁栄が出てくるんですよ。「繁栄の基」と題されたものですけれども、それは「限りない繁栄と平和と幸福とを、真理は、われわれ人間に与えています」という一文から始まるんです。およそ経営者とはちょっと思えないような感じですけれども。

広田 そうですか。

渡邊 PHPとは、Peace and Happiness through Prosperity〝繁栄によって平和と幸福を〟という意味ですね。それらは真理―真理というのは幸之助の表現で言えば、根源とも言うんですけど、真理によって本来人間に与えられているものだという考え方なんです。幸之助の宇宙観というのは、根の源。根源というものから万物が生み出されているというもの。それを宗教によっては神と呼んでいるのかもしれませんが、自分がなぜここにいるのかというと、親がいて、親にはその親がいてということで、ずっと辿っていくと、いわゆる創造の根源というものがある。宇宙というものはその根源から生じていて、宇宙に存在する万物には生成発展という自然の理法があまねく働いているというふうに考えるわけですね。全てが限りなく生成発展しているという考え方ですから、幸之助の中では、お互い人間社会も本来繁栄するように真理に与えられているとなるのです。ところが、現実は貧困とか不幸に悩み、また世界中にいろいろな問題があるのは、人間がまだ人知にとらわれ、自然の理法に即するやり方に至っていないからそうなるということなんですよね。

広田 それは人間のどの辺がまだ至っていないというふうに考えておられるのでしょうか。

渡邊 幸之助には、人間というのは万物の王者たる非常に偉大な存在である、という人間観が一方にあるのです。本来人間には万物の王者としての大変な能力があるのであって、その能力に従い、自然の理をよく理解して、万物全てのものをそれに見合った然るべき処遇を与えて発展させていくというのが望ましい姿なのだけれども、残念ながら、まだその力を発揮できていない。だから、繁栄が実現するには至っていないというわけです。

広田 なるほど、中村天風はよく人間は万物の霊長であるという言い方をしました。だから、万物の霊長としてふさわしい生き方をしろと。

渡邊 幸之助の言い方をすると、そこは経営者ですから、経営も同じだと考えるわけです。本来どんな事業でも成功するようになっている。それなのにうまく行かないのは、本人はうまくやっていると思っていても実は自然の理に即していないやり方をしているから、経営も成り立っていないと言うのです。非常に純真な、事業観としてはとても特異で、呆気にとられるような考え方ですが。

広田 いえいえ。このお話はやはり中村天風の哲学とすごく重なるところがありますね。自然の理とか、世の中が発展するというのも、中村天風も自然法則に即して自分が本来もっている力を発揮することで、世の中の進化と向上の実現に努力しろと。多分松下幸之助さんも同じことを言っておられるのでしょう。

渡邊 そうですね。繁栄について言えば、幸之助は繁栄の姿というのは、物心両面の豊かさという言い方もしています。幸之助は電気製品を作っているわけですから、物質的な繁栄というものは当然認めるし、自分自身、その大きな担い手として実業の面でやっているわけです。でも、同時に精神的な豊さも大切で、それが共にバランス良く保たれていないと、真の繁栄ということとは違うんじゃないかという。

広田 そのバランスが取れて初めて両方が成り立つということでしょうね。物質的なものばかり求めていても、精神的なものがなければ、やっぱり物質的なものもうまくいかない。

渡邊 そうだと思いますね。だから、ひところ清貧の思想とか、心の豊かささえあれば、みたいな感じのブームもあったかと思うんですけれども、幸之助が直接そういった考え方にどうこう言っているかどうか、私は記憶にはないんですが、ただ、やはり一方では近代人として物質的な繁栄は人間の生活を実際にすごく豊かにして、私たちもそれを確かに享受していると思うんですよね。その面では両方相まってというのは、産業人だからこそ、そういう考え方をするのだろうなと思います。幸之助自身は人生における繁栄という言い方はあまりしていないので。これは天風さんならではの表現だと思いますね。

広田 そうですね、中村天風は事業ということには限りませんでしたね。人それぞれが自分の人生を繁栄させる、豊かに充実して幸福に過ごせるようにと。自然の摂理に従って、ちゃんと人間として生きていけば、貧乏という問題も回避されると言っています。

 

【松下幸之助のキーワード、成功とは】

 

渡邊 松下幸之助のもうひとつの重要なキーワードは、まさに成功だと思うのですが、これは幸之助は『人間としての成功』というタイトルで本も書いています。よく自分は成功者だと言われるけれど、成功というのは自分みたいに経済的な成功とか、あるいは社会的地位や名誉を得られるとか、そういったことしか意味しないのかということに対する疑問が自分自身にあって、じゃあ万人にとって共通する成功の定義は、と考えたのです。そこで導き出した答えというのが「天分」なんです。自分の天分に生きているかどうか。全く同じ人間はいないわけで、どんな人間にもそれぞれ違った特質がある。そういう万人万様の天分があるということは、それぞれ違った人生の仕事というか使命が与えられている。政治家なら政治家として、学者なら学者として、人生において自分の天分を見出し、それを完全に生かし切るというのが幸之助の考えるところの成功なのです。

広田 確かにそうした結果として会社の社長さんになられる人とか、あるいは政治家になられる人もおられるでしょうし、母親として立派に子どもを育てる人もおられるでしょう。中村天風はそれを本分の実践というふうに言っています。

渡邊 ユニクロの柳井正さんにお会いしたときに、若い人が自分の適性に合っていない仕事ばかりやらされているとか何とかよく言うのだけれど、そんなものは誰にも分かるはずがない。好きな事は確かに好きこそものの上手なれかもしれないけれども、実際は好きでも仕事のレベルとしてはどうかなということだってあるかもしれない。つまるところ、本当に熱意をもって取り組んで初めて何か手応えがあって、それが仕事につながればまさしくそれは天職ということになるのだろうけど、最近の若い人はそういうことをやりもしないうちから、これは縁のない仕事と捉えることはどうなんだろう、という話をされていました。これは柳井さんのみならず、多くの経営者の方々がおっしゃることです。
幸之助にも、そういう部下とのやりとりがよくありました。自分は化学を勉強したから、松下電器に入って専門を生かせる仕事ができると思っていたのに全然違う仕事をさせられて、全く納得がいかないと言う社員に、「なるほど。でも、五年、十年辛抱してやってみて、それでも今と同じことを思ったら、そのときはワシを殴っても構わない」と言ったというような話があって、実際に年月が経つと、その人はその部門の長になっていました。やはり自分ではなかなか分からない。成功については、いろいろな人が誤解というか、個人的な感覚の定義を持っていると、違った方向に行ってしまうのではないかと、気になるわけです。

広田 割と独善的な成功と言いますか、それが天分につながるかどうかは分からないですよね。

渡邊 それが幸之助の中では、自然の理に即していれば、事業もそうだし、人生もそうだし、あらゆるものがおのずと成功の形になるということなのだと思います。


講演録音など膨大な資料を収蔵している資料庫

【捉われない素直な心】

 

広田 自然の理に即すという場合、松下幸之助さんはどうやって自然の理に即したらいいと考えられたのでしょう。

渡邊 そこで「素直な心」というのが出てくるのだと思います。幸之助は盛んに素直な心、素直な心と言います。自然の理に従う方向が見えるというのが、素直な心になる目的です。

広田 素直な心とは?

渡邊 幸之助の言う素直な心とは、寛容にして私心なき心、広く人の教えを受ける心、分を楽しむ心です。そして、静にして動、動にして静の働きある心、真理に通じる心です。まず第一は私心に捉われないということでしょうか。目先のこととか、あるいは私欲、私益をついつい考えてしまうのが人間ですが、幸之助は欲望を否定はしないのですけれど、でも、そこから離れて、捉われない素直な心で物事を見ると、自然の理に従ったやり方が見えるはずだと。

広田 松下幸之助さんの本を読ませていただくと、素直な心というのが本当に何度も出てきますね。

渡邊 「素直な心」ということではこんな話があります。戦後の家電ブームが来る前のことですが、既にライバル企業は米大手企業と提携しているというような中、どうしても最新の技術を導入しないと出遅れるというのがもう明々白々で、幸之助は欧米に飛んで、結局オランダのフィリップス社と提携するわけです。その時、自分の本社よりも大きい子会社を作るという、大変リスキーな決断に迫られるわけですけど、その調印に臨んで、非常ににこやかにサインしている写真があるんです。ところが本当はなかなかできなくて、ちょっと息を整えてからサインしたというのが現実だったそうです。でもなぜサインできたかと言うと、これはただ松下電器が発展するかどうかということじゃない、日本の繁栄のために間違っていない決断だ、というふうに思い至ったからサインをしたという。必要に応じて自分の決断するステージを一段上げて考えるというか、それは素直な心で物を見ようとする現実的なやり方だったんじゃないかと、私はそういうふうに思います。

広田 その場合、松下幸之助さんのような方でしたら、ステージを一段上げられるわけですけど、普通の人間としましては、長い目で見るとこれは絶対いいし、社会のためにもいいのだけれど、しかし、自分の会社がつぶれてしまうかもしれないとか、そういうことをやはり心配してしまうことがあると思うのですが、普通の人間は松下さんの生き方からどういうふうに学べばいいかなと。

渡邊 私は幸之助は極めて普通の人間だと思っているんです。幸之助自身、独立して事業を始めた当初は、世間の通念に従って真面目にやらないよりは、真面目にやった方がいいと頑張っていただけだったと、本人も言っていました。ところが幸之助の表現の中で、ちょっとおもしろい表現があって、「錦の御旗を持つ」という言い方をする時があるんです。そうやって一生懸命やっているうちに突然目覚めるというか、自分の天命、使命に気づくというような、先ほどの天分を生かすということも含めて、全部つじつまが合ってくる自分に気づく時があったのではないでしょうか。初めて自分で自分を認めるというか、確かに自分の天分を把握したというか、それを錦の御旗を得たと表現したのでしょう。
幸之助は自分の中で「錦の御旗」、すなわち「あ、これは正しい、こののぼりさえ立てれば大丈夫だ」という、そんな思いがもてると急に強くなる。普段は悩んだり、体も弱かったので、自分自身でも暗い男だと言っていたようですが、何かそういうものを掴むと俄然力強い決断をするんです。そこが普通の人とちょっとだけ違うかなという気はしますが。ただ、そういう時がさすがにいきなりは来ないだろうと、その準備期間というのがやっぱりあって、そういう瞬間に出会えるかどうかは、その人の最低限やるべき努力なのか、何かが必要、条件が必要だと思いますね。

広田 なるほど。

 

【絶対積極に通じる「素直な心」】

 

渡邊 よく中期事業計画を初めてやったのは松下幸之助だと言われますが、彼は昭和三十一年一月の経営方針発表会で、初めて五カ年計画を発表するんです。二百二十億円の売り上げを、五年後に八百億にすると、バーンと言うわけです。四倍ぐらいになるわけですよね。実は一応そういう経営方針発表のときは、スピーチライターの部下が下書きを書いているのですが、その人が自分は全くそんなことを書いていないのに、幸之助が突然そんなことを言いだしたので、びっくりしたというんです。壇上でいきなり語り出したので、この人何を考えているんだろうと思っていたら、幸之助が、「すまん、思うてしもうてん」と言ったそうです。

広田 なるほど、素直な心から「五年後に八百億」という言葉が出たのですね。

渡邊 それで一旦この話はこっちに置いておいて、この話以前の別の機会に幸之助が取引先の住友銀行に事業計画書を持って行ったことがありました。そうしたら、住友銀行の重役が、松下電器さんはこれからどのぐらい大きくされる計画ですかと聞かれた。すると、幸之助が何て答えたかと言うと、「それは私が決めることではありません。それは社会が決めることであって、松下電器が良い商品を作って、お客さんが松下電器が良い物を作ってくれた、買おう。また新しい製品を出した、また買おうと、期待と信頼に基づいて買ってくれるなら、松下電器はどんどん繁栄するから、いくらでも大きくなれますよ。でも、逆のこともあり得るわけで、期待に応えた商品が出なくて、ライバル会社の方がもっと良い商品を出していったら、松下電器は大きくならない。要は社会が決めることです」と。
先ほどの五年後には売上げ八百億にするという話とは一見矛盾するようなんですけれども、そうではなくて、なんでああいう数字が出たかというと、幸之助の中では、もう常日頃から考えに考えて、考え続けていたことなんですね。幸之助はものすごく数字に細かいんです。当時は高度成長の時代で、市場も大きくなって所得も増えていくとなると、自ずと社会はこのぐらい発展するに違いないと。その市場の大きさ、増大する消費者の購買力を考えると、松下電器の今の業界での地位を考えても、このぐらいやっていなきゃおかしいだろうというのが、彼の中では多分確信になっていたと思うんですね。だから、それが思わず口をついて出てしまった。で、実際五カ年計画と言いながら、その計画は四年目で達成してしまうわけです。ですから幸之助からすると、別に気張って大言壮語をぶち上げたわけでもなく、実は非常に素直に、自然に出てきたことなんですね。

広田 なるほど、幸之助さんの素直というのは、中村天風の言葉では、本心良心ということにあたるような気がします。

渡邊 今度は逆の例で、戦後まもない頃の古い話なんですけれど、真空管を作っている部下が、一生懸命がんばって、真空管メーカーとしてはトップのライバル会社よりも生産量が上回った時があったんですね。とうとうトップを抜いたということで、彼はもう意気揚々と幸之助さんの前でかっこよく報告していたら、どうもなんか雰囲気がおかしい。あまり褒めてくれるような雰囲気ではないので、幸之助に何かご不満ですか、と訊いたら、「不満だよ。お前はね、自分の分というものを分かっていない。相手は今真空管については横綱であって、自分たちはそこまでじゃない。それを考えた時にそんなに必死になってやっても、良い結果が出るかどうか。お前はもう少し分を守れ」と叱られたそうなんです。案の定、一か月だけ勝ったけど、あっという間にまた抜き返されてもとに戻ってしまった。
幸之助はただ勝てばいいとか、そういうふうには思っていないんです。上位を目指すことの意味合いですよね。そこに私欲が乗っかっていないか。これも幸之助的な素直な心たるべきひとつの見識なのかもしれないですね。

広田 ライバル会社を上回っても上回らなくてもいいという。勝とうとも思わない、負けようとも思わない、そういうこだわらない心を中村天風は絶対積極というのですけれども、そういうことですね、おそらく。

渡邊 相手を超すという意味で抜こうなんて思っちゃいけない。たまたま他社よりも社会に受け入れられて、勝つということもある。それは別に正しいからいい。ただ、部下は相手に勝つ、勝たなきゃいけないということだけに捉われて頑張って、たった一か月の数字で勝ったと喜んでいるということの、その幼さというか、未熟さを彼は叱ったんだと思いますね。

広田 われわれからすると、その辺は相対か、絶対かということになるのですが。そういう相対的な心も時に必要なこともあることはあるけれども、本当にいいものというのは、無心の境地から発現される心が判断したものということなのです。

渡邊 素直な心というのは経営に対しても、それから万人にとっても、その心があれば誠に望ましいわけで、素直な心があれば物事をありのままに見ることができ、ものの道理が明らかになって、実相が掴める。そうなれば相手のこともよく分かるし、利害に任せて争うこともなく、幸之助は融通無碍という言い方をしますけれども、どんなとんでもないことが起きても、慌てることなく非常に落ち着いて対処することができると、こう考えたのです。そういう意味で、素直な心というのは、自然の理に順応するための、彼にとっては重要なスキル、という言い方が適切かどうかはわかりませんが、そういうものだったのだろうと思います。

広田 素直な心で自然の理に順応するということは、中村天風が本心良心で生きれば、まさに人生は融通無碍であると言っているのと同じですね。

渡邊 幸之助が松下電器の会長になった時、京都の東山に真々庵というPHPの研究活動のための一邸を得て、今パナソニックの迎賓館になっていますけど、その庭園の一隅に「根源の社」というものを建てて、真々庵に来ると、必ずまずそこへ行って祈るわけです。何を祈るかと言いますと、まず、自分が生まれていまここにこうしていられることへの感謝。それから、今日も一日素直な心でいられるようにということ。素直な心でいようという心がけを、そうやって日々しているんですね。幸之助の表現ですけど、碁は一万回打ったら初段になる。一万日というのは大体三十年ぐらいだから、三十年祈っていたら、素直な心の初段ぐらいにはなれるというのです。

広田 それはおもしろいですね。われわれも毎朝「吾等の誓い」というのを唱えます。同じように「今日一日、怒らず怖れず悲しまず、正直、親切、愉快に」と続いて、自己の人生に対する責務を果たして、立派な人間として生きることを誓うわけです。最初に、今日一日とあるように、天風は今日一日ならやれるだろうと。それを毎日やれば自然にそういう人間になれると。なるほど、三十年後には立派な人間の初段になれるわけですね。

 

【感謝の心が共存共栄の世界を作る】

 

広田 根源への感謝ということで言えば、ご著書の『道をひらく』の中で、感謝の心で毎日仕事をしていれば仕事もはかどるというお話を拝見したのですが、幸之助さんは感謝ということをどのように捉えておられたのでしょうか。

渡邊 幸之助が、ヤング・プレジデント・オーガニゼーションという世界の経営者達が集まった会合で、人生最後の公式の場で講演をしたことがあったのですが、その時に外国の経営者が、あなたはすごく謙虚に見えるけれども、どうしてそんなに謙虚なのかと質問したのです。すると幸之助は、いや、自分は何ごとによらず衆知によらないといけないと思う。だから、十人おれば十人の知恵を借りるという心構えをしているし、全てがわが師という考えでやっているのだと言っています。
またいろいろと部下の話が残っていますけれど、その中で松下電器の元副社長の話で、新入社員の時に社内報の編集をしていて、幸之助に原稿をもらいに行ったら、幸之助が「君は京都を知っているか」と訊くので、「いや、知らないです」と答えたら、「そうか、じゃあ、今日は案内してやろう」と言って、社長が一日、新入社員の京都案内をしてくれたそうです。そしてその車中で、「君も知っていると思うけど、僕は小学校四年生で終わっている男なんや。だから、今経営の世界や財界で使われるカタカナ英語がさっぱり意味が分からんのや。悪いけど、僕の代わりにそういう言葉を書き出して、その意味を教えてくれないか」と頼まれたというんですね。それで、社長にもかかわらず新入社員の自分にそんなことを頼む人がいるんだと、非常に感激したというんです。そこには何のケレン味もないんですね。それこそ素直に知らないものは知らないという。頼まれたほうは、自分にそんなことを任せてもらえるんだと感謝感激なのですが、幸之助は、いやいや、こっちは頼んでいるんだ、よくやってくれた、ありがとうと。そういうやりとりになるので、頼まれたほうは、なんでそんなこと私に頼むんだというようなことにはならないんです。

広田 感謝の心というのは、そういう繁栄とか成功ということと何かつながるんですかね?

渡邊 やっぱり共存共栄ということですから。幸之助は自分一人だけ繁栄しても、周りが疲弊していったら、それで世の中が繁栄するとは考えていないわけです。共存共栄の根本は、お互いにリスペクトし合う心ですよね。ですから幸之助の部下指導の特徴というのは、うまく褒めて人を動かすというのとはちょっと違って、もちろん褒めもしますけれども、認めるということなんです。だから叱り方もおもしろいんですよね。「君ともあろう者が」とか、相手の人格を認めて叱っているので、みんな叱られつつも褒められているような気がするんですね。だから、よし、やるぞという感じになる。普通は、ともすれば部下に対して感情的にただバーンと怒るということになりがちです。幸之助はめちゃくちゃ怖いんですけれども、その一方でそういう承認と愛情がある。それも無意識でしょうけど、幸之助にはみんなにしてもらっていることに対する感謝の気持ちが自ずとあるんだろうなと思いますね。推測ですけど。

広田 共存共栄、ともに繁栄しようという人間への愛情と信頼の表れということなんですね。本当に素晴らしい哲学で、しかも具体的な良いお話をありがとうございました。

渡邊 いえいえ。話が思いつくままでしたが、天風さんが死線を越えるような思いをされたりとか、幸之助もやはり肺結核の初期を患い健康に不安を持っていたりと、究極のところを経験されると、命の使い方に思うところが同じようにあったのではないかと思いました。

広田 共通性が非常に見えてきて、感動しました。今日は本当にありがとうございました。

●●プロフィール●●
渡邊祐介
一九八六年、筑波大学社会工学類卒業。同年、PHP研究所入社。普及部門を経て、八十八年出版部に異動。多くの単行本制作に携わる。九十五年研究本部に異動、松下幸之助関係書籍の編集プロデュースを手がける。九十八年より三年間、紀要『松下幸之助研究』を企画編集。
松下理念研究部主任研究員、研究部長、研究出版事業部長、研究企画推進部長を経て、現在、経営理念研究本部本部次長。経営哲学学会理事。企業家研究フォーラム幹事。松下幸之助研究。PHP理念研究。松下幸之助を含む日本の名経営者・実業家の経営哲学の研究。

『ドラッカーと松下幸之助』 (PHP研究所)
『経営理念――継承と伝播の経営人類学的研究』 (共編著 PHP研究所)他、著書多数

(『志るべ』2018年9月より)

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