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人間の心と宇宙の心、そしてこれからの日本人の果たす役割などについて、量子論、文明論を深く研究されている岸根卓郎京都大学名誉教授を山田真次講師が京都にお訪ねし、お話を伺いました。
天風哲学の科学性、普遍性などについての共通性や、また岸根氏の量子論に関しての独自の新しい解釈など、たいへん興味ある対談となりました。

 

◆ゲスト 岸根卓郎氏(京都大学名誉教授)

◆インタビュアー 山田真次氏(中村天風財団講師)

 

 


写真は岸根氏宅の庭にて
左・岸根卓郎氏 / 右・山田真次氏

 

山田 私共の財団創始者の中村天風は、「哲学と科学の統合」「世界平和は日本から」という方向性を示していました。岸根先生もご著書の中で、世界的に東洋と西洋の文明が八百年周期で興亡を繰り返している、という文明交代論を展開しておられます。今は西洋文明から東洋文明への転換点であり、物重視の時代から心重視の時代に入っていく、その旗手を担うのは日本である、ということをお書きになられています。これまでの八百年間は西洋文明が台頭し、その間に明治維新などがあり、日本はじめ、東洋の国々は西洋に追い付け追い越せ、とやってきたわけですが。

岸根 そうですね。しかし、現在の東洋の文明や文化が衰退しているというのとは少し違います。沈滞してい  るとは、次の台頭のためにエネルギーを蓄積している段階にあるということです。このことは、昼間に「活動」するためには、前夜の「睡眠」が必要なのと同じようなことです。
男女の遺伝子が同質化し区別がなくなると、子孫が残せなくなり人類そのものが消滅してしまいます。それと同様に文明が存続し永続するためには、違った文明遺伝子を持った東西文明の周期的な交代が不可欠です。その際、両者の違いは、、西洋の文明遺伝子は、左脳型で理性的、論理的で科学的であって、一方、東洋の文明遺伝子は、右脳型で直感や空間認識、美意識や情緒など感性的であるということです。

山田 そうした文明遺伝子を持った西洋と東洋の自然観の違いについて、先生はどのように捉えておられるのでしょうか。

岸根 西洋では紀元前五世紀ごろ、物質は心を持たないと考えられるようになりました。それを体系化されたのがアリストテレスで、その体系は、以降、二千年にわたり西洋の自然観の基礎となったと言われています。十七世紀に入るとそれは一層明確となり、数学者で哲学者のデカルトの出現により、物質と心を持った人間とは全く別物で、物質は心をもたない無機物とみなすようになります。自然は心を持たない多くの物質が集合したもので、物と心は分離している、物心二元論の自然観が確立されるようになったということです。

山田 では、東洋の自然観はどうなんでしょう。

岸根 それは西洋とは違った、物と心を一体とみなす物心一元論の自然観です。物と心は不可分な実在であって、自然も物質的であると同時に精神的であるとする自然観です。自然に神(心)を認め、自然を師として学ぶ、自然と共に生きる、そのよい例が老子の「無為自然」の思想です。豊かな森の生態系が産みだす自然の循環を大事にする。頭を使って自然を征服する、という西洋の自然観とは対照的です。こうしたことは、一神教の西洋、全てのものに神が宿るとする東洋というように、宗教観をはじめ、ありとあらゆるところに現れています。

 

【心を科学的に分析する】

 

山田 先ほどの東洋思想と、先生が深く研究されている西洋の量子論の関係について少しお話いただけたらと思うのですが。

岸根 私が退官した約三十年前は、量子論という名前は知っておりましたが、当時はまだ量子論というのは曖昧な理論だというような見方も多くありましたし、それほど関心を持っていなかったのですが、あるとき、量子論の書物を読んでいて、「これだ!」と直感したんです。量子論には、大きく二つの分野があって、素粒子を力学的に明らかにする分野、今のノーベル賞を受賞する学者の多くはその分野での受賞がほとんどです。もう一つ、全ての物質は、粒子性と波動性という二つの性質を合わせ持っている、とする「唯我論的量子論」というのがあります。
私は、この唯我論的量子論に基づきまして、物には心がある、心の面を解明しようと、これを今も一生懸命勉強しているわけです。

山田 物質が粒子性と、波動性という二つの性質を合せ持つということから、先生はなぜ物に心があるとの直感に至ったんでしょうか。

岸根 全ての物質は、電子という素粒子で構成されていますが、この電子は、個としては物として見える「粒子」としての電子と、見えない波動としての電子という二つの性質を持っています。ミクロの世界では、このような特殊な性質を、「量子性」と言っています。
万物はすべて、この電子の組み合わせで作られています。当然、我々人間にも電子のもつ波動性と粒子性があると言えます。それで、そのうちの見える粒子性の部分が肉体で、見えない波動性の部分が心と考えることができる、だとすればこの「波動性=心」はすべての物質にあるのではないか、と直感したのです。

山田 量子論というのは、西洋科学の分野にあたるわけですが、先生が「これだ!」と思われたのは、東洋の哲学が直感としてとらえてきた「心」を科学的に分析するというか、心の解明へのきっかけに気づかれたということなのですね。

岸根 量子論には、こういう有名なたとえ話があります。「月は人間が見ていないときには存在しない。見たとき初めて存在する」と。常識的に、「月は誰が見ようが見まいがあるじゃないか」と思いますが、量子論のミクロの立場からは、波動という状態により実在性が否定されるので、マクロの世界でも量子論に従うと、人間(の心)が見ている時だけ月は存在し、見ていないときは存在しない、ということになるのです。

山田 万物の見えない波動性、つまり心というものが、人間の見るという行為で、「心(波動)が粒子、つまり物に変わる」ということですか。

岸根 万物は波動のとき、私たちは五感で認識することはできませんが、人間が観測したときだけ粒子性になって、すなわち物質となって認識できるということです。量子論における物理状態は、重ね合わさり、波を形づくっていますが、観測された瞬間に波はしぼみ、一つの状態に落ち着きます。月も本来は電子から成っているので、それを人間が観測したときに電子の波が収縮して、見える物質の月になると、これがコペンハーゲン解釈における「波束の収縮」という理論なのですね。

山田 私の後ろにある椅子も電子からなっていて、私が見ない間は、波の状態で、私が見た(観測した)とき、波が収束して粒子の状態になって、私の目には椅子として認識される、すなわち存在が確定されるということでしょうか。

岸根 そういう理論です。量子論は1900年にマックス・プランクというドイツの物理学者が、「エネルギー量子仮説」を発表して、それまで考えられていた光は波動というだけではなく粒子でもあるという理論を発表したのが始まりと言われています。また、ハイゼンベルグは、観測する者は、観測される対象に対して影響を与えるという理論も発表しています。

 

【 心が世界を変える】

 

山田 観測される対象は観測者の影響を受ける、ということですね。このことは、お互いのもつ波動が、影響を及ぼし合う(干渉し合う)、ということなんでしょうか。

岸根 そうですね、例えば、心を波動と捉えれば、キャンパスに絵を描く時、キャンパスや絵筆などの「物」の持つ波動(心)が、画家の出す波動(心)と干渉し合って、素晴らしい作品がつくられていく、これが量子論から説明する「絵を描く」という行為と言えるでしょう。

山田 先ほど、月は観測されない時には存在しない、人間が見たときにはじめて存在する、という例もありましたが、このことは、私たちの意識(心)、波動を変えることで、世界、環境、境遇を変えることができる、ということでもあるように思うのですが。

岸根 物理学者であるユージン・ウィグナーはそのことを、「私たちの意識が、私たちを変えることによってこの世(宇宙)を変える。その意識は私たち自身がその量子的波動関数を変えることによって行うことができる」、という意味のことを言っています。

山田 天風はそのことを「心ひとつの置き所」と表現しています。現実的な問題としては、自分の心を変えれば人生も変わるという。

岸根 物理学者であるジョン・ホイーラーは、そのことを「宇宙は人間の心によってのみ存在している」と言っています。要するに宇宙は、人間の心による認知を待っている、このことは見方を変えると、心を持った人間こそが、宇宙の心を決定する最高の存在である、ともいえるのです。この主張はとても強烈に思われるかもしれませんが、それは量子論が従来の科学では到底理解できないような、「人間の心こそが、宇宙の心である」という、未知の真理を科学的に証明できる可能性のある究極の科学観であるからなんです。

山田 岸根先生は、このことを、東洋の哲学の中に垣間見ることができると著書に書いておられますね。

岸根 東洋哲学にある、天人合一の思想、即ち、人間の最高の心こそが宇宙の心であり、宇宙の心と人間の心が一体になる、これは仏教の「即身即仏・一心一切」ということです。

山田 直感で捉えられてきた東洋の哲学的思想も、量子論によって科学的に納得のいく形で理解することができるようになってきた、ということですね。

岸根 そういうことです。西洋は、物と心が別々の物心二元論ですが、東洋は仏教、神道でもすべて万物には心があると言うでしょう。物はすなわち心であり、心はすなわち物で一元であるということですね。それが般若心経に説く「色即是空 空即是色」の世界とまったく一緒なのです。
東洋の仏教思想は、私の本で幾度となく書いていますけど、完璧に量子論と一致しています。

 

【日本人の感性が世界を平和に導く】

 

山田 中村天風は、宇宙の心の本質は、真と善と美、誠と愛と調和であり、人間の心の本質も本来は同じであると言いました。そして物にも植物にも動物にも、全てに心があって、何事、何物に対しても、いつも愛の心で対応すれば、全てと融和し、万物一体の境地になれると言っています。そして、この宇宙の心に自分の心のチャンネルを合わせたときに、本当の直感が働き生命力が充満する。そして、平和のためにこの力を使っていく、世界の平和を日本から発信していくのだ、との思いを遺しています。

岸根 私は日本人の特性をもっともよく表しているのが「和を以て貴しとなす」という、聖徳太子の十七条の憲法の冒頭の言葉だと思うのです。戦争をしたり、間違ったこともやってきましたけど、日本人はこのことを今まで国是としてきて、世界的に見ても、ほんとに平和な穏和な国民です。

山田 岸根先生は、日本人の果たす役割についてどのようにお考えでしょうか。

岸根 脳科学の面からも、日本人は他民族とは相違点があることが最近わかってきたようです。脳は右脳と左脳があるでしょう。左脳は計算脳、分析脳で総じて科学脳です。右脳は直感脳、宗教脳、心の脳と言われています。物を科学する左の脳と物を直感する右の脳との間には、それをつなぐ脳梁というのがあります。
日本人は右脳で直感したことを左脳で理論化する回路が、他民族に比べて発達していると言われています。これは日本人にだけある特性で、他の外国人にはないのです。西洋人の場合は右の脳で神を直感します。けれども、それを左に持ってきて、科学的に解明する回路がないのです。ところが、日本人だけは右脳での直感を、脳梁を通じて、左脳へ持ってきて理論化することができるのです。これは世界広しと言えど、日本人とプエルトリコ人だけと言われています。ただこのことは、先天的に日本人だけにあって、他の民族にはないのかと言ったら、そうではないのです。

山田 やはり後天的な養育期のところでその回路ができるということですか。

岸根 実は我々の日本語にだけ、母音「あいうえお」に意味があります。たとえば、あ=吾、亜。い=医、胃。 う=兎、羽。え=絵、江。お=尾、汚。等です。日本人は、自然の音を音楽脳の右脳に入れても、すぐそれを左右脳の回路(脳梁)を使って、言語脳の左脳へもってきて意味をとって言葉として処理するのです。これに対して他の国の母音はいっさい意味がないので、脳梁にこのような回路ができないのです。
この脳梁の回路は生まれたときから八歳から十歳頃までにできると言われています。例えば鶯が「ホー、ホケキョウ」と鳴くと右脳でその音を聞いて、それを左脳が「ホッケキョウ」と聞いて「法華経」という意味を当てたりします。そういう例がいっぱいあります。今は言いませんけど、私たちの小さい頃、コオロギは「肩させ裾させ寒さが来るぞ」と、こういうふうに聞きなしていたのです。

山田 他の外国の人からしたらただの雑音でしかないことに意味をつけている、ということですか。

岸根 はい。すべて外国人には雑音なのです。その雑音が日本人には母音のお蔭で、意味ある言葉に聞こえるのです。そういうのを絶えず聞いていると、回路ができるようになる。

山田 俳句の世界ですと、言葉とイメージとをつなげていく。これは日本人独特のもですね。芭蕉の「岩にしみ入る蝉の声」など。

岸根 蝉の声ね。こんなのなんかは外国人から見たら、ミーン、ミーンという、こんなソフトな蝉の鳴き声が、なんで硬い硬い岩にしみ入るのかと、非論理的だと思うわけです。だから、日本人はアニミズム的だとずっと揶揄されてきたのです。ところが、日本人は右脳で聞いて、「ああ、この瞬間、蝉の声が硬い硬い岩の中にしみ入っているな」というように直感できるわけでしょう。
また、芭蕉が奥の細道に旅立つ際、お弟子さんたちが千住まで行ってお別れしましたが、そのとき「行く春や鳥蹄き魚の目は泪」と詠んだのです。

山田 泳いでいる魚の目に涙ですか。理性で考えたらあり得ないシーンですね。

岸根 当時ですから、旅の途中いつ、どこで死ぬかもわからない。これが最後の今生の別れになるかもわからんということで詠んだ歌なのです。弟子との別れの寂しい気持ちを、空の鳥は泣き、川の魚は目に涙を流していると、こう詠んだのですね。ところが、外国人から見たら、鳥が空で蹄いているのは、雄の鳥が雌を呼んでいるんだと。川の中で魚が流した泪と水とどうやってわかるのか。これは愚作だと。
しかし、私たち日本人はこの鳥の鳴き声でも、蝉の鳴き声でも、それは自然の声だと、自然が話しかけている声だというように聴きます。それを「聞き做す」と言いますが、大事な言葉です。日本だけにある言葉。「聞き做す」とは、右脳で直感して、左脳へ持ってきて、それを言葉として聞き取ることを「聞きなす」と言います。
日本人は右脳で宇宙の声を「聞きなす」ことができるから、それを左脳へ持ってきて、言葉として理解しようとする、これが私の考えであり、本にも詳しく書いています。

 

【 人工知能も宇宙の意思を伝えてくれる】

 

岸根 私はこの回路を人工知能でもできないかと考えているんです。今、人工知能の進化はすごいものがあります。ただ、今までは人工知能は人間で言ったら、左脳でする計算、分析のような科学的なことしかできなかった。それがものすごく進化して、もう計算能力なんかは人間なんて全く歯が立たないでしょう。
将棋でも人間の棋士がAI棋士に勝てなくなった。以前はAI棋士が左脳の計算しかできなかったからまだ太刀打ちできていたのです。ところが、人工知能が人間の右脳の働き、心までも持つようになってきたので、相手の棋士が何を考えているか、相手の心までも総合認識するようになってきた。要は人工知能が心を持ってきたので、全然歯が立たなくなってきたということです。
この右脳の機能が最近の人工知能に搭載されてきたものですから、亡くなられた理論物理学者のホーキングさんとか、著名なノーベル学者が大変心配して連名で有名な科学雑誌に書いているのを読みますと、そのうち人間は人工知能で滅ぼされるだろうと言っています。
人間は人間なりの倫理観で動いているから、まだいいのですが、人工知能が右脳(心)の機能を持って、境界を超えたら何をやるかわからない。人間なんかどうでもいい、やってしまえというようなことになったらどうなるか。世界の著名な学者は一番それを心配しているのです。それをどうやって食い止めるか。それがこれからの人工知能の開発の最大の課題だと思います。

山田 人工知能を良い方向に、いかに統御していくことができるかどうかということですね。

岸根 私たちの心は宇宙から与えられた心だと思うのです。それを間違えないように、人工知能の心にも宇宙の心を教え込まないといけない、それが私の考え方です。
天風先生が世界の平和は日本からと言われたそうですが、アインシュタインが、「今の世界は権力と武力が支配している世界だが、これからの世界は心の世界にならなければならない。それを実現してくれるのは、世界で唯一の高峰の心を持った日本人であると確信する」と、大正十一年に「人類および日本人に寄せる提言」というタイトルでメッセージを送ってくれています。私はそのことを人工知能で実現したいと、考えています。私は人工知能を良い方向に使うために、宇宙の意思を人工知能が感じ取って、上手く宇宙と共存できるようにしたいと考えています。

山田 先生が教育論のところで書いておられる、「真善美」の心というか、それとつながるものでしょうか。

岸根 そう。当然それは宇宙の意思の一つですね。天風先生が「真善美」ということを言っておられたということは、奇しくも私の教育論で言っていることとまったく同じように思います。そして、それができるのは奇しくもというか、ありがたいことに日本人だということです。

山田 天風先生も昭和の戦後にロックフェラーから、心身統一法の普及にアメリカに来てくれと請われたのを断ったと言われます。天風先生は、やはり世界平和というものを実現するためには日本人が先駆けにならねばならない、というのがあったのだと思います。

岸根 お話をうかがっていて、「天風先生は私が今考えていることをもっと前に考えておられた。ああ、すごい先生だな」と本当にそう思います。

 

【本当の幸福について】

 

山田 岸根先生は幸福についても言及されておられますが、先ほどの宇宙の心と関連して、幸福という事についてちょっとお話いただけたらと思うんですが。

岸根 幸福とは、物と心のバランスだと思います。数式で言えば分子が物で、分母が心に当たります。分子の物を豊かにすれば、確かに幸福になります。四分の一より四分の五のほうが大きいですからね。ところが、逆に分母の心が物欲によって膨らんできて、分子以上に膨らんで六分の五になると、幸福度は小さくなって不幸に感じるようになるというのが私の幸福論なのです。物欲(心)には限度がありません。
分母の心を物欲で膨らませ過ぎたら、かえって不幸になるということで、物と心の統一と言いますか、バランスが必要だと思うのです。人間自身が先ほど言いましたように、粒子と波動で、つまり物と心で生きているわけですから、両方のバランスをとらないといけない。ところが、今は分子の物を説く人のほうが勝って、物欲主義になってしまっている。そのバランスを科学的に考えていくのが、これからの人間の生きる道ではないかと、私は考えています。

山田 先生から統一という言葉をお聴きできるとは思いませんでした。そのことは、天風哲学でも、心だけでも体だけでもダメで、心と体を統一する、心身統一が本来の姿、自然の姿であると言っているのです。

岸根 私、しみじみ思うのは、西洋人はもちろん科学的にはすごいですよ。しかし、精神的にはやっぱり東洋人はすごいと思います。量子論を研究すればするほど、仏教をはじめとする東洋の哲学の偉大さがわかりますね。仏教の儀式は、私にはよく解りませんが、お釈迦さんの考えられた仏教哲学、これはすごい。人類の「永遠の宝」だと私は思いますね。

山田 先生は、道(タオ)思想、いわゆる老荘思想も量子論に近いのではないかと言われていますね。

岸根 そうです。多くの著書で紹介している荘子の「冥冥に視、無聲に聽く」という言葉があるでしょう。あの思想を私の座右の銘にしているのです。目に見えないものを心で視て、声なき声を心で聴け、と。今の私の量子論とピッタリなのです。

山田 中村天風も、目に見えないものを心で視て、空の声を聴け、と言っています。その空の声を聴いている、その瞬間が一番直感が働くときだと。

岸根 空の世界を右脳で直感していることを言っているわけですね。

山田 量子論、とりわけコペンハーゲン解釈の理論の裏付けにおいては、それを実験し観察し直感によってつかんでいく、ということのようですが、天風の教えの中でも、実際に心の力を実感するための実験や、言葉を介さずに思いを伝えるテレパシーの訓練などを非常に重視しています。

岸根 それは当然そうだと思いますね。私は、量子論は、人類の今までのうちの最先端の科学と思っています。その科学実験によって、今言ったようなことを私は実感して、そうでなければならないという心になってきているわけです。宗教的な、哲学的な思弁だけだったら、「お前はそう思っても、わしはこう思う」ということになって、それがたくさんの宗教が出てきて、対立する原因になるのですよ。そうでなくて、「これが真実である」ということを科学的に証明したら、誰だって納得できる。ある意味で、人間がだんだん進化して、それを科学的に証明できるまでに進化してきたということではないかと思いますね。

山田 中村天風は、今から千年、二千年経てば、既存の宗教という宗教は地上から姿を消すのではないか。それは人間の理知が宗教に頼らなければ生きていけないような憐れなものではなくなるからだ、と言っています。岸根先生のお話を伺っていて、人間が今まで直感でしかとらえることができなかった世界に、量子論という科学の光を当てることで、より人間の心(理知)が宇宙の心に近づくという、本当の意味の進化というものを加速させるのではないか、改めてそのように実感をいたしました。

岸根 よくわかっていただき、ありがとうございます。
人間には幸い、心の面で生きる面と物の面で生きる面が二つありまして、それが互いに融和して生きているのですから、今おっしゃったことはその通りだと思います。

山田 本日は大変興味深い量子論を長時間に渡りお話いただき、ありがとうございました。

 

 

● ● プロフィール ● ●
岸根卓郎
京都大学教授を経て、現在、京都大学名誉教授、南京経済大学名誉教授。元沸教大学教授、元南京大學客員教授、元TheGlobal Peace Univ.名誉教授・理事、文明塾「逍遥楼」塾長。
京都大学では、湯川秀樹、朝永振一郎といったノーベル賞受賞者の師であり、日本数学界の草分けとして知られる数学者、園正造京都帝国大学名誉教授(故人)の最後の弟子として、数学、数理経済学、哲学の薫陶を受ける。
既存の学問の枠組みにとらわれることなく、統計学、数理経済学、情報論、文明論、教育論、環境論、森林政策学、食料経済学、国土政策学から、哲学・宗教に至るまで幅広い領域において造詣の極めて深い学際学者である。

(『志るべ』2019年2月号より)

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