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今回の特別対談は「心の平安」をテーマに、天風先生の直弟子であり(公財)合気会本部師範である多田宏九段に、山田講師がお話を伺いました。
多田師範は合気道を指導されるうえで稽古のはじめに瞑想を取り入れ、合気道が対立を越えた安定を目指すことが目的であると説かれます。
又、およそ五十年前から八十九歳になる現在まで、イタリアを中心に合気道の普及に努めてこられています。対立を越えた真の安定について、多田師範に、天風哲学の理論と実践についてたっぷりお話いただきました。

◆ゲスト 多田宏氏(武道家・合気道九段)

◆インタビュアー 山田真次氏(中村天風財団講師)

山田 多田先生は中村天風先生に直々に教えを受けられたということで、まず天風先生のお話を聴きに行かれた経緯をお伺いしたいのですが。

多田 私は昭和二十五年の三月四日、植芝道場(註・合気道開祖、植芝盛平先生の道場・現在(公財)合気会、合気道本部道場)に入門しました。その時、早稲田大学の二年から三年への春休みですから、二十歳でした。その頃は戦争が終わって四年半たっていましたが、道場の弟子は六、七名で、そのうちの半分が天風会員でした。今、合気道は世界百四十ケ国に広まり、会員も百万人を超えています。

山田 そうでしたか。

多田 その中の横山有作さんと親しくなりました。彼は海軍兵学校で終戦を迎え、当時は一橋大学に通っていました。その有作さんが「多田君、中村天風という先生がおられるのを、君は知っていますか」と言われたのです。私は、初めて聞くお名前でしたので、「存じあげません」と答えました。すると、有作さんは事細かに天風先生のことを話してくれました。
柳川、立花家にゆかりがあること。日露戦争の時、軍事探偵であったこと。病を得て、世界を巡り道を求められたこと。インド、ヒマラヤ・カンチェンジュンガの麓の村でヨーガ哲学の修行をされたこと等です。
その話を聞きながら私は直ぐに思い出したことが、幾つかあります。「佐賀の葉隠、柳川の立花」という言葉。武士の気風が高いことで名高い佐賀藩と柳川藩を讃えた言葉です。武家ならば誰でもが知っていたことです。

 

【ハルビン郊外「志士の碑」と冒険軍事小説】

 

多田 昭和十七年の夏、私は父母と満州を旅行しました。前年、昭和十六年十二月八日大東亜戦争が始まっていましたが、当時はまだ旅行が出来たのです。その時ハルビン郊外にある「志士の碑」にも詣でました。この碑は日露戦役の時、ロシア軍に逮捕され、銃殺された日本の軍事探偵、横山省三、沖禎介、両志士を祀ったものです。天風先生が軍事探偵であったことを聞き何かの因縁を感じました。
私たちが子供のころ、冒険軍事小説というのが沢山ありまして、軍事探偵が世界を相手に大活躍して、ワクワク、ドキドキしたものです。その物語の中に、天風先生のことと、そっくりな話がありました。ですから天風先生は、今まで物語の中にいた主人公が突然、目の前に現れたようなものでした。

山田 潜在意識の中にあったものがスッと出てきたような感じだったのですね。

多田 それで、直ぐその月、昭和二十五年五月、天風先生のお話を聴きに護国寺、月光殿に行きました。月光殿の大きな部屋に入り、はじまりの時間を待ちました。幾人かの会員の話があり、そこで、天風先生が、お立ちになり「皆さんようこそおいでになりました。私が中村天風であります」というお声を聴いて驚きました。私は学生ですから一番後ろの方に座っていたのですが、それでも先生のお声が良く通り、そして腹に響くのです。また、説かれる教えが武道の伝書の説く教え、道の感じに極めて似ていることに気づきました。
私の家は、鎌倉時代以来、代々対馬藩士で、家伝の弓術が伝わっているのですが、いろいろな心構えの教えがあるのです。先生のお話を聞いていると、子供の頃から祖父や父から聞いていた話が思い出されるような、何か懐かしい気がしました。

山田 それは具体的にどのようなところでしょうか。

多田 日本の文化に一番大きな影響を与えた人は、弘法大師空海でしょう。中国の西安に渡り、当時もっとも新しいといわれた密教を学び日本に持ち帰り、天皇の信任も得て、真言密教を国の教にまで育て上げました。日本武道は、密教と鎌倉以後の禅、そして神道の長い歴史、七百年に及ぶ武家政治の責任、これ等によって瞑想と一体化して心技共に深いところに到達する事が出来たのです。日本刀はじめ兜等武具には密教のマントラが刻印されたものが多々あります。仏教にはヨーガの行法が深く入っておりますね。
今、世界中で精神集中の科学として研究されている、ラージャ・ヨーガの行法が、今から千年も前に日本に入ってきて、日本文化に大きな影響を与えています。だから、心身相関の東洋の理論と実技を近代的に説かれている天風先生の心身統一法は、武道の伝書を学ぶ上で非常によく分り、ありがたいのです。

 

【対立を越えた安定】

 

山田 多田先生が合気道を指導されるときに、お弟子さんに稽古のはじめにブザーの音で安定打坐をして心を整えさせていらっしゃいますね。合気道は強さを競うということではないと伺いましたが。

多田 それは少年部の稽古の時ですね。合気道は武道であり禊でもあります。つまり武道であると同時に動く瞑想法でもあるのです。これは現代では特殊なように思われますが、実は、もともと日本の武道また文化は、その技術向上の過程において、瞑想法と同化しているところが最大の特徴なのです。
ところが徳川時代末期から明治にかけて、武道を競技化するのが進歩のように言われ、更に廃仏毀釈という政治的力で変革が生じました。欧米の植民地化する力に対抗すべく、国民の団結を求め、国民の精神の向く方向を、いわゆる国家神道の道に強調されるようになり、自由な個人の集中力、瞑想力、発想力が裏方に回ったのだと思います。
更に科学技術の発展と、それを支える西欧文化の物心二元論の世界観が浸透し、心の世界の働きを研究することが、非科学的であるかのような錯覚が生じたりしました。
競技化はそれなりの良い点もありますが、競技というものは、ルールの元、対立の中での勝利を競うものでしょう。その為、瞑想によって対立、対峙の世界を超越する、東洋の世界観を求めるどころか、そのような世界があることさえ知らない人が増えてしまった、というのが実情です。

山田 先生の演武の動画を先日拝見したのですが、柔道などと違って、投げられるほうも対立していないと言うか、投げられる方と一体となっているというか、そういう感じを受けたのですが。

多田 合気道の稽古は、いわゆる乱取りではなく、独特な「気の流れ」という稽古法です。動画のそれは、格闘の技を見せているのではなくて、「気の流れの稽古」を行っているのです。気の流れの稽古では、勝負強弱を一切考えないでやるのが重要です。勝負強弱を重要視したら、いつも対立、対峙の世界の中にいるじゃないですか。天風会二代会長の安武先生が説かれ、書かれた 『絶対的積極心と相対的積極心』の違いと同じ意味があります。

山田 なるほど、勝負の強弱を一切考えないというのはとても興味深いですね。

多田 それと、瞑想あるいは瞑想的な稽古というものは、どの様な芸術であれ、高級な技術を心身に得るうえで、必要になるのです。

山田 一生懸命やっていて、壁にあたったとき、その壁を越えるときに必要になるということでしょうか。

多田 瞑想というのは心身に生じるあらゆる対立、問題、困難を越えるため、大自然が人類に与えた優れた自然の道でもあります。日本の伝統的な道は、常にそのことを大切にしていたと言えます。これは見える世界と見えない世界で成り立っているこの世の中の、自然法則ではないでしょうか。
日本では、芸事を大抵、子供のときから稽古し始めるでしょう。本人は、なんだかわからない時、それをどういうふうに教えるかというのは難しい問題です。剣術の伝書では、特に、心身を凝り固まらせてはならないと説いています。そして、初心の時に着いた癖は、後々取り去ることが出来ないから注意せよとも説いています。素直に伸び伸びと大自然から与えられた心身を、自然の法則に従って発揮できるようにすれば、やがて集中、同化、統一、伸び、乗る、そして三昧境に進み、心身の妙用を生むことが出来ると教えているのです。

山田 先ほど弘法大師、真言密教の影響ということをおっしゃいましたが、茶道でも合気道でも、日本古来からある「道」というものには、やはり禅的な要素というか、そういうものが多分にあるのですね。

多田 「一芸を通じて道に入る」という言葉があります。
日本文化で道という言葉は、いろいろな意味に使われますが、武道では、「心学・道徳の道・その時代の社会倫理の道」と、「心法の道・技術の上達・精神集中の法則」があります。しかし、大抵の方は、道徳の道と思われるんですね。武士道精神とか忠君愛国が浮かぶ、社会的な倫理を道と見ている。勿論それも大事な道でありますが、社会倫理というものは、時代によって変わるものだということを、我々昭和一桁生まれの者はよく知っています。
一方、我々が、こうしている間も、地球は自転しつつ太陽の周りを回り、そして太陽系自体宇宙法則に従って活動している。つまり、我々は地球と一緒に宇宙の中で生きているわけです。だから、我々は当然、地球人であると同時に宇宙人でもある。勿論このことは、今時、子供でも知っている。
時代が変わっても、これは変わりません。しかも命の働きの基である「気」は電磁気的な性能を持って、宇宙に満ちている。そうすると地球人としての社会倫理の道と、もう一つ、宇宙生物としての道、宇宙と一体であるということも重要な事です。そして、この道は〝東洋三千年の教えの中に静かに、厳然として活きています〟。この道は、健康をはじめ人々すべての生命に関係がある重要な道です。

山田 合気の「道」というのは、そちらの道なんですね。

多田 古人が説いた「大自然と共にある活き方の道」を、現代的に行ってゆく「現代に活きる武道」を、植芝盛平先生は実行されたのだと私は思います。

山田 現代の競争社会、比較の世界、いわゆる相対的な社会の中、絶対的なものを取り入れるような工夫というのは、ますます必要とされてくるのでしょうね。

多田 武道の伝書で「剣術は勝負の事なりといへども、其極則に及びては、心体自然の妙用にあらずという事なし」とあります。この言葉は、剣術の名のもとに狭い枠を作り、対立の世界に捕らわれてしまうな、ということも教えていると思います。
「心身の妙用」が現れるには、宇宙の知恵との結びつき、旺盛な生命力が大切でしょう。そこで「気の錬磨」を丁寧に行うことが大切となります。それによって、例えば、剣術を修行することにより、優れた剣術を生み出す法則が心身と同化し、妙用の世界が生まれるのだと思います。

山田 理屈よりも、ストレートに易しく法則が身につくようにやった方が良い、というお話は、哲学を理屈で学んで理解するよりも、方法を教えているのだから、素直にそれをやればいい、そうすれば自然に法則は身についていく、という天風先生の教えそのものであるように感じました。

 

【イタリアでの合気道普及へ】

 

山田 先生のお話の中にもあるように、合気道など、日本古来からあるものに見るように、対峙を超えた絶対的な世界を追求しようという心が伝統的にあるように感じます。この日本の古くからの文化と言うか、伝統と言うか、そういうものを先生は単身でイタリアに行き普及されてこられて、その過程ではやはりすごくご苦労もあったのかなと思いますが。

多田 それはどこでも、みんな、同じだと思います。文化が違うから考え方も違うし、本当に難しいところもあります。しかし、お互い人間だという、大きな共通点があります。ですから共鳴するという、大きな共通点もあるのです。勿論合気道が広まり、興味のある人や好きな人は非常に増えました。でも、本当に分かっているかとなると、それはまた別の問題になってきます。

山田 当会としても天風哲学というものを、もっと広く、あまねく、いろいろな方に知っていただきたいと思っているのですが、あらゆるものが西洋的というか、結果を急ぐというか、この社会の中で、浸透させていく難しさを感じることもあります。
多田先生が外国に行って合気道の普及にご尽力されているところで、何かヒントになるようなことがあれば、お聞かせいただきたいのですが。

多田 言葉の使い方ということもありますね。我々は漢字文化ですから、漢字的な発想で、熟語的に説明しようとする。それは、ヨーロッパ人にはわからないことがあります。

山田 なるほど。日本の文化ですと、一言で言い表してしまって、その意味を伝えないというところがあるということですね。

多田 合気道には、体の動きがありますから、そこを丁寧に行い、目の前で実際に心と体の働きが生じると、分かるというよりは、いわゆる「以心伝心」で感じるということになることが多いのです。「以心伝心」は世界的な心の問題です。勿論日本でも、まるで感じない人があるように、他国でも同様なことはありますが。

山田 一つ一つ丁寧に伝えていくということでしょうか。

多田 今日のように、一瞬にして情報が世界を巡り、全てのことが非常な速さで起き変わる近代の世界では、そこが大きな問題だと思います。特に現在我々が重要とみている世界、「気・瞑想」について関係ある世界の動きをみれば、このことは非常に重大なことだとすぐにわかります。創立から五十数年たったイタリア合気会でも、マンネリに陥らないように新しい世界の知識等注意を払っています。

山田 先生もやはりイタリアで普及をする際には、そういう工夫をかなりされておられるのですね。

多田 言葉に説明を加えていく。天風先生のことも、説明しているので、みんなよく知っていますよ。

山田 そうですか。対立の文化と言われる西洋の人も、先生の言葉をお借りしますと、もともと宇宙人で、だからこそ、東洋の絶対の世界に憧れを持つということもあるのでしょうか。

多田 興味があると言ってもいいけれども、本当にわかるかどうかとなるとまた別ですね。難しいですよ、宗教の問題もありますし。

山田 それは一神教という宗教観によるところが大きいのでしょうか?

多田 一神教の問題は当然あります。我々が大自然と言ったときは、林とか、原野とか海とかだけをいうわけではないですよね。その背後にある、見えざる大きな働きを言うでしょう。しかし西欧で、自然という場合は、目に見える物としての自然を示すことが多いようですね。

山田 大きな働きに対する畏敬の念と、征服すべき対象、これは大きな違いですね。

多田 宇宙というのも、我々は宇宙をあらしめている見えざる働きを指しています。けれど普通は宇宙と言ったら、物的宇宙を思う。普段はわかりませんが、話をしていて、ひょっと、そういうことが出てきたりします。

山田 直ぐに、科学的に物理の世界と結び付けてしまいがちで、もっと大きな広い働き、という観念をわかってもらうのは大変だということですが、現代に生きる私たちも、科学的に、時に理屈を追求しすぎて、心を委縮させ大事な働きのことを忘れて空論を展開しないよう、注意しないといけないですね。
ヨーロッパの中では、イタリアは比較的、多神教的な部分もあるようですが。

多田 それはイタリア人の若い人も、言いますね。我々は、ローマ時代までは多神教的だった。イタリア人をキリスト教の面からだけ見ていては解らないですよと。

山田 多田先生のご本にも書かれておられましたが、イタリアに行ったときに、ピオ・フィリッパーニ教授は、合気道を「動く禅」だと表現したとありました。

多田 そうです。フィリッパーニ教授は、私の演武を見て、すぐそう言いました。

山田 そう理解するバックボーンがあったということでしょうか。

多田 ピオ・フィリッパーニ教授は、ウパニシャットをサンスクリット語からイタリア語に翻訳した、言語学者です。中国語も話したし、五、六カ国語話しました。ただ、彼は考えて言ったのではなく、感じて言ったのだろうと思います。もう三年ぐらい前に亡くなりましたが。

山田 理屈ではないということですね。インスピレーションと言うか。東洋的ですね。


左:多田氏       右:山田氏

 

【テレパシー「以心伝心」を稽古に取り入れて】

 

多田 私は早稲田大学に昭和三十五年に合気道会が設立された時、呼吸法と以心伝心の稽古をすぐ行いました。天風先生から「直ぐやってみろ」と言われたからです。今でも稽古が終わる前に、「以心伝心」の基本練習を、全ての道場で必ず行っております。

山田 毎回、テレパシーをですか。

多田 稽古の時、身体の動きの手順は誰でもわかります。しかし、どういう心で行えばよいかということは、いくら説明してもわかりません。ところが天風先生に教わったテレパシーの練習を二人あるいは複数の人で行うと、一人では簡単には入れない軽いトランス状態に自然となり、考えるのではなく、感じる状態で稽古を行うということが自然と会得できるようになるのです。人間の持つ、電磁気作用の微妙な働きだと思います。

山田 身体の動かし方は教えられても、その時の心持は感じるしかない、ということでしょうか。

多田 口で「無心でやれ」などと言っても出来るものではありません。「以心伝心の稽古」という、具体的な稽古方法で行うことが大事です。ですからヨーロッパ、イタリア、スイス、パリ等でも行っております。

山田 西洋の方にはどうですか、テレパシーを非科学的と捉えて、受け入れるのが難しいといったことはないですか。

多田 イタリアで「気の錬磨」として稽古を始めたのは一九六五年からですから、もう五十年以上たっています。始めたときイタリア人にはどうかな、とも思ったのですが、稽古後皆が、知識としては知っていた心の働きを、実際に探求できる素晴らしい稽古法だ、と大層喜ばれました。

山田 そのような素養というか、伝統のようなものが西洋に、イタリアにあったという事なんでしょうか。

多田 イタリアには古くから多くの修道院があり、その院長が記した日記が大事に保管されています。その中に記された記事には、修道僧たちが行った、沢山の驚くべき超心理学的行動があり、テレパシーなど少しも不思議ではありません。

山田 お話を伺っていていて、西洋の童話には、魔法使いや、魔女の話がよく出てくることが浮かんできました。それにしても、テレパシーをこの道場で毎回の稽古でやられているというのは、本当にすばらしいですね。

多田 考えるのではなく、感じる状態で行う、ということを実感することが出来るのです。

山田 天風会でも、もっと普段の行修からテレパシーを取り入れることを検討しても良いかもしれない、とそんな気がしてきました。日常の中で本当に実感をもった活用をするためにも、先生のお話からそんな感想を持ちました。

 

【天風先生の技を受ける】

 

山田 多田先生は直接、天風先生の武道のお相手などされたことはおありなのでしょうか。

多田 天風先生の投げ技を受けたことは何回もあります。天風先生は武術が身に付いておられましたから、技を実地に試されるのがお好きでした。講習会のときも、ふと思いつかれたように、急に「多田出てこい」と 呼ばれて、よく先生のお相手をいたしました。

山田 それは夏期修練会ですか。やはり天風先生はそういう武道の心得が、おありになったのですね。

多田 天風先生は随変流抜刀術の達人でした。昔の武術には、基本的な身体の使い方が必ずあり、あらゆることが自在に出来るのです。例えば、投げる、抑える等、自然に出来るんです。


天風先生の見守る中、補導として竹切りのお手本を示す多田氏(月光殿にて、昭和34年8月夏期修練会)

山田 お相手は受けができないと難しいですか。

多田 勿論です。

山田 そうですか。多田先生がお相手なら、天風先生も安心して技をかけられたのでしょうね。

多田 まあ、それはそうですが。

山田 そういうときに何か天風先生から感じるものとか、おありでしたか。

多田 それは素晴らしいことでした。一般の人とは全く異なる感じです。天風先生のような達人は、同化力がすごいのです。そばに寄るだけで、こちらの感じが変わるのが分かる。やっぱり電磁気的な力があるんじゃないでしょうか。植芝盛平先生もそうでした。同じような感じでした。

山田 対応していても同化されてしまうという?

多田 先生が相手に対応する、ということはないと思います。要するに、こちらが自然と天風先生と同じような感じになるわけです。

山田 それは安心感というか、無心でいられるというのか。

多田 言葉では表すことが難しい感じです。ただし、これは武術として専門分野に入るようなことで、一般の人は、自分の変化に気がつかないかもしれません。もっとも、野崎先生が言われたことがありますが、会員の中で体の具合が悪い人が、天風先生に相談したくて、天風先生の側で順番を待っているうちにすっかり治ってしまい、どこが具合悪かったのか、わからなくなってしまった、ということが、よくあったそうですから。

山田 同化力なのですね。

多田 だから、離れたところで、先生に無声の気合をかけられると倒れる実験、いわゆる「テレパシーKO」も、先生と同化しているのです。ただ天風先生の方は「有意実我の境」だが、倒れる我々の方は「無意実我の境」になるということです。

山田 多田先生が合気道で技をかけるときも、そういう状態なんですか。

多田 なかなか、そうはゆきませんが、稽古は常に透明な感じで、明るく行うことが大切だと思います。そして心の場を広く伸び伸びと行ってゆく、植芝盛平先生のお教えにある、無限の宇宙の心の中に居る気持ちで行う。

山田 それはやはり日本のすばらしい伝統とも通じると感じます。天風会としても、そういうものをもっと伝えていかなくてはいけないというところがあったと思うのですが。

多田 天風先生の誦句集にある数々のお言葉こそ、すべての行動においての東洋哲理のエッセンスですから、それが自然に出てくるようになるまで暗唱することが大事でしょう。すると体の動きも、まるでそうなろうとしているような感じになるのです。

山田 私も誦句は、意味は二の次にして暗唱することが大事ではないか、と思います。江戸期の教育にある素読のような。

多田 気がついたら出来ているという、技術は大体そういうものなのですが、それには常に口に出して念じることと、その技術、あるいは願い事が、完全に出来上がった姿を心像(イメージ)に描くことが大事です。

 

【体が心のいうことを聞くようになる】

 

多田 結局まず目指すのは、みんな心と体の安定感でしょう。天風先生の『真人生の探究』精神生命の法則・精神統一の要領の項に、心の集中・統一と傾注・執着・凝滞の違いが説かれています。呼吸法・プラナヤーマ(武道では収気の法と言う)や感覚の統御を行い、ヨーガの瞑想行を訓練することによって、そういう違いが自然とわかるようになる。それを武道では対立、対峙を超えると表現します。技で言えば、対立するから動き難いので、対立を超えたら自在となる。荘子が「至人の心を使うこと鏡の如し、将らず、迎えず、応じて蔵めず、故に能く物に勝えて傷わず」と言ったように、宇宙の子としてのインスピレーションが出て、働きが自在になると昔から説かれています。

山田 心身統一法をずっと着実にと言うか、日常生活の中で実践していくことによって、その心を高めていく。そして、そこに対峙のない自分をつくり上げていくということにつながりますね。

多田 そうですね。だから、例えばプラナヤマでも、クンバハカでも、朝、起きて、気がついたら、もうやっているぐらいになるといいですね、

山田 その自然の状態というのを心身一如の状態、それを目指すために心身統一法があるんだというふうに天風先生は説かれたわけですけれども。

多田 心身統一法を行うと、「心は音楽家で、身体は楽器と思え」という教えが事実となって現れてきます。体が心の言うことをよく効くようになり、プラナヤマで宇宙の力を受け入れるのを体が感じるようになる。

山田 心が川上である状態が実感となるんですね。

多田 その実感が出ると、宇宙の力と知恵を受け入れるプラナヤマを行うのが楽しくなりますね。そして呼吸操練にある、振動を加える法などが自在になる。さらに心像(イメージ)を加え、効果を強力にすることも可能になります。
合気道の稽古を行っているとよくわかるのですが、こうなると「気の流れの稽古」など、見えない世界とのつながりを重要視する稽古が、本当に活きてくるのです。宇宙から受け入れた「気」の持ってる電磁気的勢力が働くのだと思っています。

山田 淡々と心身統一法を行う事での本当の成果を伺えたような気がいたします。

多田 どのような稽古でも、宇宙とのつながりを重要視する「東洋の知恵」を大切にして行えば、無限の働きが生まれると思います。

山田 創立百周年を迎えた現在、科学的なことに焦点を当てようという空気は益々強くなっていくのでしょうが、それに走りすぎて、目に見えない大切な東洋の知恵を見失ってはならない、と強く感じました。

 

【合気道は神人合気・天人合気】

 

山田 最後になりますが、合気道の究極の目的は、どこに置いていらっしゃるのでしょう。

多田 日本の伝統文化の全ては、本来、表に出さなくても、基は神人冥合でしょう。それを合気道では神人合気といいます。それを目指して修練する、あるいはその道に沿って修練してゆくのが東洋的な道ですから。
勿論、現代に活きる我々です。哲学、宗教が説く瞑想も大事ですが、特に若い人は、これから進化してゆく科学から見る、瞑想について知識を高めることも必要です。国の内外では、瞑想が科学の世界に入ったと言われています。それは、禅、ハタヨーガを基として、アメリカで医学から始まったマインドフルネスの世界、スポーツの世界におけるフロー・ゾーンの問題(伝統瞑想では集中、統一、乗る、三昧)そして、見えないミクロの世界の物理学で、物心一元論の東洋的世界観と通じるところがある、といわれる量子論の発展等です。ただしこれは、誰でもが学べるというものではありませんから、その道の専門家に学ぶということが大事です。
全て稽古の目的は、宇宙の子としてこの世の進化向上に寄与するという、大きな目的があるのですから、考えようによってはこれほど楽しいことはありません。

山田 何かに抗うと疲れることでも、思い方、考え方一つなのですね。

多田 練習するときは、プラナヤーマ呼吸法を行い、命の力を高めて、心と体の使い方に熟練しよう、という思いでする。それは、自分の感覚を自在に使えるようにもなる、ということにもなります。そうすれば、いろいろなことがプラスに働く。自分のやりたいことも進めていけるし、それが出来れば仕事も成功するし、健康もよくなるでしょう。

山田 心身統一法は、日常生活が練習の場であるわけですが、日常生活の心得につながる貴重なお話をいただきました。
今日はイタリアへの渡航予定もある中、行修のあり方や具体的なやり方等、多方面から様々なご助言もいただき、本当にありがとうございました。

多田 どういたしまして。こちらこそ、有難うございます。
天風会の益々の発展を祈念致しております。

●●プロフィール●●
多田宏(昭和二十五年天風会入会)
合気道九段、公益財団法人合気会・合気道本部道場師範、早稲田大学合気道会、東京大学合気道気錬会 名誉師範。イタリア合気会(日本伝統文化の会)DirettoreDidattico主任教授。国際合気道連盟委員。合気道多田塾を主宰。

(『志るべ』2019年6月)

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